床の間の意味
「床の間」とは正式には「床」
と呼ばれ その原型にあたる
ものは「奈良時代」からあった
とされています
また「とこしえ」(永遠)と
いう字から 名づけられたと
する説もあり 日本家屋の一番
重要な場所でもあります
「床」の名が示す通りに 家主
が 普段の生活していた場所で
あり 書斎兼寝床としていた
場所であります
「床の間」で一番 有名なのが
江戸城の大広間で よく時代劇
などで 一段高い場所に殿様が
座っていて その前に臣下が
ずらっと 平伏している場面等
を見る機会があると思いますが
これが 本来の「床の間」の
在り方です
権威を現す場であるため座る
場所に厳格な決まり事があり
現在も使う言葉で もう一段
上を目指す! という言葉は
この 座る場所を一段高い所
に という願いから 段 と
いう言葉が使われています
江戸城の大広間には五段まで
在って 全部合わせると
500畳という大きさでした
一般家屋でも 家主が床の間
に座り 客人がその下に座る
という図なのです
ここで疑問に思われるとおも
われますが もし 自分より
身分の高い人が来た場合でも
家主は「床の間」?
家主は基本「床の間」です
なぜなら 何か用があった
場合 身分の高い人が下の家
に訪ねる事はなく 呼びつけ
ますので 訪ねてくるのは
必ず 身分の低い方なので
家主は「床の間」にいるのです
ただ 基本と書いたのは 例外
として 「お坊さん」が来た
場合などは 武士の階級は関係
ありませんので 家主が下に
降りて 「お坊さん」に譲って
いました
その名残として今でも「払子」
を掛ける 金具が付いていまして
現代では そこに花器を掛けて
「掛け花」として使っています
現代の床の間
日本の建築様式は大まかに3つ
の様式に変化してきました
神殿造り→武家造り→書院造り
現代のマンションなども洋式の
仕様にはなっていますが
「書院造り」の名残があります
「床の間」のあるご家庭も少な
くなって来ていますが 大事な
日本文化の一つですので 知識
として覚えていて下さい
江戸時代以降 その家の主人も
「床の間」より降りてきて
居間で生活するようになると
「床の間」は 道具置き場と
なっていた時代もありましたが
江戸後期より「床の間」は神聖
な場所として 見直され 大事
な物を置く場所へと変化して
きました
その過程の中で「掛け軸」
「生け花」「置物(香炉)」の
三つを 置くのが正式な床の間
の飾り方となり 現代でも
大事なお客様を迎える時など
この三つを飾る事になって
おります
この時の主は「掛け軸」となり
その 掛け軸を元に いけばなと
置物が 決まってきます
いけばな の飾りは流派によって
異なりますので どの流派にも
共通する事だけ書きます
「掛け軸」に「絵」が描かれて
いる場合は その絵を引き立てる
ように 生けます 簡単にいえば
邪魔をしない という事です
「軸」に 牡丹の絵が描いてある
のに わざわざ 牡丹を生けない
という事です
「軸」が地味な「字」や「絵」の
時は 鮮やかな色の花を生けて
「軸」が派手なら いけばな は
地味なものを 生けるといった
感じです
床の間は「掛け軸」が主役
という事を忘れなければ あとの
飾りは自己流でもかまわない
と言う事です
厳密には 「いけばな」にも
「主位」「客位」等の生け方も
ありますが それは いけばなを
習っている人がやる事であり普通
のご家庭では 意識しないでも
大丈夫です
一番大事な事は
「相手をもてなす」という
事です
多少 作法が違っても
そんな事は些末な事です
一例として 昔はクーラーなど
無いですから 夏などは 来る
お客様は 汗びっしょりで来訪
されたと思います
お金持ちの家なら冷たい冷菓子
等で「もてなして」いましたが
豊かな人が少ない時代です
一般の人は高価な菓子など
買えません
そんな時 どの様にしたかと
いうと お客様がいらっしゃる
であろう 時刻に合わせ
いけばな を飾り始めるのです
どういう事かというと
花器に水を入れますが その水
は 井戸から汲んできた冷たい
水です 当然結露で花器の表面
に 水滴が出来ます
暑い事を この水滴を見て
もらう事により 少しでも
暑さを忘れてもらおうという
心意気です
お金はかかりませんが この
労力は かなり大変な事です
生けるのが早すぎれば 結露は
だらしなく垂れてしまい水溜り
になりますし 遅ければ水滴が
出来ません
お客さんがきた時に ちょうど
よい塩梅になる様に 生けたの
です 相手を思いやる心が
すごくないと出来ない事です
この気持ちこそ 本当の
「おもてなし」
ですよねー
長くなりますので
「床の間」part2に続きます