古流いけばなの始祖は元禄時代
神田明神にて教えていた
一志軒今井宗晋ですが 古流の
基本花型を定めたのは天保時代
の 三代目家元 関本理遊と
されています
その教えを受け 嘉永年間から
明治の初期にかけて「花道」を
推し進め(普及に努めた)のが
四代目家元の関本理恩であり
古流花型の基本「五花型」を
完成したと言われています
古流は加賀前田家本郷邸
(現 東京大学)の武士の教養
として用いられ また町民にも
愛された いけばな流派であり
今でも 関東圏では「古流」が
多く学ばれています
松瀞会も東京大学に隣接する
本郷三丁目にて 家元教場を
開いております
その様な「古流」のいけばなで
一番 大切と考えているのが
「出性」(自然に生えている
様子)を第一に考える事です
本来 あるべき姿を壊さずに
「理」に合わない事はしないと
いう事です
ですので「古流」では雅号に
必ず「理」の文字を付けます
石井理顕 のようにです
これは関本理遊から今も続く
「古流」の伝統です
このように「出性」を大切に
考えますので 自ずと生け方も
あまり強く曲げず 本数も
少なく さらりと瀟洒に生ける
「自然体」の生け方が 当時の
「江戸っ子」の持つ「粋」と
される考えと 相まって
大流行いたしました
そのような「古流」ですが現在
「古流松〇会」や「〇古流」の
ように いろいろな呼び名の
古流があるのですが それは
跡の継ぎ方の方法
が 独特だった為です
いけばな に限らず「茶道」や
「狂言」「歌舞伎」といった
「伝統文化」は「一子相伝」と
いった「血筋による」継承が
多いのですが 「古流」では
弟子の中で一番技能の
優れた者が跡を継ぐ
という 方法で伝承する方式を
とりました
この伝承方式の利点は優れた
「技能」を後世に伝える事が
出来るという事です
その一方 「流派の分裂」を
招くという面もありました
どのような事かと言うと 同じ
門下生だった人が「生徒」と
いう いわば「同列」の存在で
あったはずの人が突然「先生」
という特別な「存在」となって
しまうのです
人の「感情」として 自分より
後輩の生徒だった人を「先生」
と呼ぶ事には 耐えれない人が
とった行動は 自ずから去って
いき 自分の「古流」を作ると
いう結果となりましたので
「古流」と名の付く流派が多く
なりましたが 「古流」の
正統後継流派としては 名前に
松の字が入る「松〇会」とする
という事になっております