お正月の「門松」について
お正月にお店や家の玄関に松が
飾ってあるのを見る事があると
思いますが 何故 松を飾るの
でしょうか?
日本には八百万(よおよろず)
の神がいて その中からその年
の「歳神」が選ばれ その神様
が天より降りてくると信じられ
ていました
では その「歳神」は どこへ
降りてくるのでしょうか?
その当時(鎌倉時代以前)の人
は「山の頂」に降りてくると
信じ 大晦日の子の刻(23時
~翌1時)に 山に登り その
山の頂上で一番高い所すなわち
頂きに生えている「樹木」の
先端を持ち帰る=「歳神」を
一緒に家に連れて来る という
事になりますので その持ち帰
った「歳神の宿る木」を神棚に
飾る行事を行っていました
その際 家中の大掃除も終わり
「歳神」を迎え入れる「準備」
が終わっています という合図
の為に 家の外に「松」を飾る
としたのが「門松」の始まりと
されています
ですが 今の「門松」を見ると
「松」より「竹」の方が目立ち
「門松」というより「門竹」の
様に見えていませんか?
こんな感じに!
肝心の「松」は おまけの様に
下のほうに控えめにある感じの
「門松」が主流です
勿論 これにも「理由」があり
ます まず
三才という考え
が その当時の日本人にはあり
「三才」というのは この宇宙
すべてを三つの物で現せるという
中国の孟子という「思想家」の
考え方で 日本で一番有名なのが
「天・地・人」という言葉です
この考えの派生として「植物」の
全てを表す 三つの言葉として
「松・竹・梅」として 今も食物
のランクを表すのに使ってますが
本来は 松 竹 梅に
上下の優劣はなく この三つの
植物を全部使うと「おめでたい」
という事で お正月や祝い事に
「松・竹・梅」を使っていました
ですので 「門松」も 本来は
この三つを使うのが正式な飾り
なのですが時期的に梅が咲いて
いませんので 梅の代わりに
南天を使ったり 松と竹を藁で
縛る時の飾りとして 梅の花を
かたどった飾りを付けたりして
いましたが それはお金持ちの
家だけであり 普通の庶民は
簡単に手に入る「松」のみを
飾っていたので「門松」と呼ぶ
のですが
ですが いつの時代もお隣とは
競うものであるみたいで
「松」を飾って「これでよし」
となった時 ふと お隣さんの
門をみたら 我が家より大きい
「松」 が飾られてるのを見て
「来年は あれより大きい松に
しよう!」と 松の大きさ比べ
時代?に 突入してしまった
のですが 松の木というのは
1メートル位のサイズだと幹も
細いのですが 2メートルの物
は 倍の太さになるかというと
だいたい四倍位の太さになって
くるもんなんです 2.5mで
八倍という様にちょっと大きく
なるだけで 急に太くなる植物
なので 重機もない時代に
際限なく競争が続く訳もなく
人間の動かせる 限界にきた時
考え出されたのが松の代わりに
「竹」なら 長くても「軽い」
から 「竹」で大きく見せよう
となり「竹」でしたら大きさに
そんなに「差が」でないので
竹を高くして 周りとの争いも
一件落着となりました
ですので「竹」が目立つ様に
しているのは その名残なん
です
また 「竹」の切り口の違いも
あるのもご存じですか?
真っ直ぐな物と斜めに切られて
いるものに
この違いは 斜めに切った物は
切り口が 「笑って」見える事
から 一般家庭や飲食業などで
使われ 一方 真っ直ぐなのは
お金がたまるように「金融業」
に多く使われています