いけばな と「万葉集」

  元号が「平成」から「令和」
 となり その名前の「典拠」と
 なりました「万葉集」が脚光を
 浴びています

 この「令和」とは大宰府庁で
 行われた 大伴旅人が主催した
 「梅花の宴」で詠まれた三十二
 首の序文の

 于時、初春月、氣淑風
 梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

 (訳)

 時に、初春の月にして、
 気淑く風ぎ、
 梅は鏡前の粉を披き、
 蘭は珮後の香を薫す

 の中から 令(善または美の類
 義語)と 和(和やか穏やか)
 を取り「令和」となり

 意外と「令和」を英語で現した
 「Beautiful Harmony]
 の方が解り易い感じですね

 「万葉集」とはそれまでの中国
 から伝来した「漢字」だけでは
 なく仮名(万葉仮名)も使われ
 た 日本最古の「和歌集」で
 あります
 
 また「万葉集」の意味の由来は
 「万の言の葉」を集めたとする
 説で、「多くの言の葉
 =歌を集めたもの」の名の通り

 一人によって詠まれたものでは
 なく その時の天皇や有名な
 歌人 防人から 詠み人知らず
 と呼ばれる 一般庶民まで膨大
 な数の人が「作者」である

 というのも面白い所です

 この「万葉集」のもう一つの
 特徴として仁徳天皇の皇后から
 とすると450年という長い
 世代を超えた歌集というのもの
 でもあります

 「万葉集」は「古事記」を継ぐ
 意識で編まれ 「古今和歌集」
 は その「万葉集」を継いで
 「続万葉集」として編まれた事
 が知られています

 「古事記」が「帝王の日継と先
 代の旧辞」からなりますが

 「万葉集」は
 「宮廷伝来の古歌」と「家々の
 歌集」を資料として見る事が
 できます
 と言う事は その当時の人々が
 どの様な生活を送っていたかを
 うかがえると言う事であります

 私には その当時の人が 花や
 景色を どの様な気持ちで見て
 いたのかが解るような気がして
 好きな歌集の一つです

 そして「万葉集」には「花」を
 詠んだ歌が かなりの数がある
 事から その当時の人々も
 花を見て「綺麗だな」「美しい
 な」と思う 心があったから
 詠んだと思うのですが 面白い
 のは 「ただ花が綺麗だ」と
 歌うのではなく その花に自分
 の気持ちを例えて詠んだ歌が
 多く 今でいう「粋」だなと
 感心しています

 有名な「秋の七草」は詠まれた
 歌の最も多い「萩」を始め
 七種類の花を 選んだのは
 山上憶良で七夕の七に因んでの
 花の数だそうです

 ちなみに旧暦では 七月七日は
 秋の時期にあたります

 古流では 「秋の七草」をよく
 とりあげますが 「春の七草」
 ではなく「秋」なのかと言うと
 それは この 七種類の花を
 「いけばな」の花材としてよく
 使うからです 

 万葉集で有名な「花」について
 詠まれた歌をいくつかあげます

磐代の浜松が枝を引き結び
 真幸くあらば亦かへり見む
          有馬皇子

春されば先ず咲く宿の梅の花
 ひとり見つつや春日暮らさむ
          山上憶良

見渡せば春日の野辺に霞立ち
 咲き匂へるは桜花かも
        詠み人知らず

杜若 衣に摺つけ 丈夫の
 きをひかりする月は来にけり
        詠み人知らず

わすれ草わが紐に付く香具山の
 故りにし里を忘れむがため
          大伴旅人

わが情 ゆたにたゆたに 浮蓴
 辺にも奥にも 寄りかつましじ
         詠み人知らず

筑波嶺のさ百合の花の夜床にも
 愛しけ妹そ昼も愛しけ
         大舎人部千文

萩の花尾花葛花撫子の花
 女郎花また藤袴朝貌の花
           山上憶良

ははそ葉の母の命の御裳の裾
 つみ挙げかき撫でちちの実の
  父の命は
           大伴家持

 写真は「万葉集」が盛んだった
 頃の代表建造物
 「平等院鳳凰堂」です


 
 
 

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